2020年11月28日土曜日
第9回読書会 ビブリオバトル・テーマ「進化」
2020年11月26日木曜日
『完全なる証明 100万ドルを拒否した天才数学者』(マーシャ・ガッセン)
『完全なる証明 100万ドルを拒否した天才数学者』(マーシャ・ガッセン)を読んだ。
超面白い。数学の記念碑的難問「ポアンカレ予想」には、賞金1億円がかけられました。それを辛苦のすえ証明したペレルマンは、しかし賞金もフィールズ賞も拒絶し、隠遁してしまいました。なぜ。
「我々の社会でエリート教育は許されない」という旧ソ連に、奇跡的に残された数学アカデミーで育ち、数学の純粋さを信じるペレルマンには、数学と金や賞は、結びついてはならないものだったのです。数学は数学のためにある。この世で数人しか理解できなくても、正しい数学は正しい。分かりやすいなんて、低俗なことだ。
2020年11月24日火曜日
『操られる民主主義 デジタル・テクノロジーはいかにして社会を破壊するか』(ジェイミー・バートレット)
『操られる民主主義 デジタル・テクノロジーはいかにして社会を破壊するか』(ジェイミー・バートレット)を読んだ。
超面白い。2017年米国でロビー活動に最も金を出したのはどの会社? トランプのSNS選挙対策室でケンブリッジ・アナリティカ(個人情報を使う選挙コンサル)と協働したのはどの会社? 答えはGoogle。昔ならプロパガンダと呼ばれた手法をテックで洗練し、時価総額は50兆円を超え、もう既に、権力なのです。
しかしテック企業は自分を権力側と思っていません。それは彼らの「カリフォルニアン・イデオロギー」。つまりテックの本質は人を解放すると信じているからです。そろそろ無理があるでしょう。
2020年11月9日月曜日
『江戸の読書会 会読の思想史』(前田勉)
『江戸の読書会 会読の思想史』(前田勉)を読んだ。
超面白い。江戸の会読には、カイヨワの言う「遊び」、アゴーン(平等のチャンスが人為的に設定された競争)とルドゥス(あえて窮屈なルールで困難を解決する喜び)がありました。ていうかそれってまさに、ビブリオバトル!
儒学も蘭学も権勢や利得に直結しませんでした。これが逆に「貴賤富貴を論ぜず、同輩と為すべき事」(懐徳堂=大阪商人の学問所)となったのです。杉田玄白は『解体新書』訳業の思い出に、「会集の期日は、前日より夜の明くるを待ちかね、児女子の祭見にゆくの心地せり」。なんと素晴らしい。
2020年11月1日日曜日
第8回読書会 『グロテスクな教養』(高田里惠子、ちくま新書)
- 教養とは、生きていくだけなら要らないけど、あったほうがよいもの。宇宙飛行士の若田光一さんが詩を詠むように。
- 私が女性なので、4章(「女、教養と階級が交わる場所」)に入って一気に面白くなった。そうか、古典を読む的な教養は、男のものだったのか、と気づいた。
- 男は教養があったらモテるというが、女は教養があってもモテない。
- そもそも、男は教養があったらモテるという思考が謎。
- 教養が女性にモテるモテないの手段となっていることに気づくときの「いやったらしさ」、腑に落ちた。
- 教養とは、向上心。
- 本書では主に、教養とは、向上心の、滑稽さ・イタさ。『三太郎の日記』には、「よりよく」って言葉が2ページで40回近く出てくる。(向上心を馬鹿にする一方というのではない。)あるいは、あとがき(233頁)によれば、教養とは、人間の複雑さをそのままにしめすという、『神聖喜劇』的グロテスクさ。
- ニューアカには、高み・近寄りがたさという概念がない。ので、教養=向上心への、トドメだった。大澤真幸曰く、「ニューアカみたいになりたいな、と思ってやったので、とても悲惨なことになっているんです」(160頁)
- 本書は、教養についての論かと思ったら、教養論についての論、教養論論だった。
- 教養というのは、全方位的に情報をもっているという面がある。つまみ食いは教養ではない。そうすると、オタク的なやり方、一部だけを深めていくやり方が、教養を殺したのか。今の教養は、オタク的な教養、教養的な分野に特化した教養になっているのでは。なんなら、教養分野の専門学校を作ったってよい。
- ただ、昔の社会で教養が成り立ったのは、情報がまだしも限られていたからでは。現在のように情報が膨大なら、一部だけになるのは無理もないようにも思う。
- 教養とは、色々なこと、色々な選択肢を知っておくことで、困ったときに助けになるもの。成長するためのもの。
- エヴァンゲリオンなどを考えると、現在では、成長しないのでも、受け入れられるんだなと思う。個人的には、基本、成長しろよ、と思う。
- このまえ三島由紀夫を読んだら、これはだめだ、大人になってはじめて読むもんじゃないな、と思った。
- 教養が低下した、昔はよかった、というのかもしれないが、満州事変のころから、教養は低下したと言われていた(83頁等)。
- 教養とは、マウンティングのための武器。
- 教養主義には、対抗文化のはずだったものが、自身が権威になってしまうという逆説がある。ゲーテ、マルクス、吉本隆明・浅田彰と来て、今や、教養も大衆文化の一つにすぎず、教養主義は成り立たない状態では。
- もっとも、教養は、昔から、満州事変のころから、人生や社会の役に立ってない。
- 唯一、教養が生き死ににかかわる問題となったのは、戦争末期のみ(117頁等)。しかし、生き死にの問題は常にあるはずで、したがって、教養の時代は、まだ来ていない。そういう意味で、私は(ベーシックインカムなどにより)本当の教養の時代が到来するのを待ち望んでいる。