読書会「新書でマンガを読む」を開催しました! 課題本は2冊、新書『アイロニーはなぜ伝わるのか』と、マンガ『Dr.STONE reboot:百夜』です。
目論見としては、『アイロニーはなぜ伝わるのか』で得たアイロニーの知識をもって、『Dr.STONE reboot:百夜』を読み解こうというもの。はたして目論見どおりにいくのでしょうか?
(以下、『アイロニーはなぜ伝わるのか?』を「新書」と、『Dr.STONE reboot:百夜』を「Dr.STONE」と表記します。)
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【Aさん】
アイロニーは、標準語や、私の母語の京都弁だと、非難が強くなりすぎてしまう。隣家が晩に騒がしかった次の日に、「昨日の晩も、えろう頑張らはって」とか。
これが大阪弁だと、「昨日の晩もえらい頑張ってはりましたな~」で、もうちょっと許される感が出るような。
で、アイロニーには、大阪弁ならノリツッコミで返せるんですよ。「そうそう昨日はちょっと頑張りすぎてしもて」みたいな。ノリツッコミってすごい発明ですよね。
それでいうと、Dr.STONEは壮大なノリツッコミでは? 必ず帰ってくるという白夜のアイロニーへの、レイのノリツッコミとして読めると思うんです。
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【Bさん】
アイロニーが苦手というか、額面通りに受け取ってしまうんです。出かけた後に大雨になって、「お出かけ日和だよね」と言われたら、「ああ、この人は、雨が好きなんだな」と思う。私も、陽がさんさんと照っているより、雨のほうが好きなんで。いや、これはアイロニーじゃなくて、本当にそうなんです。
だからというのでもないですが、私はDr.STONEにはアイロニーはないと思いました。新書によればアイロニーとは期待と現実のギャップだということですが、Dr.STONEは、期待が現実化していく過程こそが面白いと思うので。
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【Cさん】
新書は、アイロニーが伝わる理由の分析がメインですが、アイロニーの効果についても書かれていて、私はそこが面白いと思いました。アイロニーは、「期待」に言及することで、それと対になる「現実」とのギャップを浮き彫りにすることより、そんな期待が存在してたんだな、というインパクトを与える効果があります。
その視点で読むと、Dr.STONEの、次の6点がアイロニーとして読めると思います。
【1】
「まあ、特に役には立たないオモチャだが… まぁ… ないよりは…?」「評価ありがとうございます」「褒められてねーよ!」
期待:評価するなら褒めるだろう あるいは、面と向かって低評価してはならない
現実:褒めていない あるいは、ロボットは面と向かって低評価されても気にしない
【2】
「レイ! 計算 超がんばってくれ お前ならやれる!!」
「これ以上無理です わたしは機械ですから がんばるとかそういった精神論は…」
期待:がんばればできる
現実:できない あるいは、ロボットにはがんばるという概念はない
【3】
「白夜様 戻ってきてくれますか?」
「…ああ 戻ってくる だから気楽に待ってな レイ」
期待:戻ってくる
現実:戻ってこられない(レイは戻ってこられないことを知らない。片面的劇的アイロニー)
【4】
「人間たちが全ての燃料を使い切っちゃいました!!」
期待:残されるものに対して少しは配慮するだろう
現実:人間はロボットの安全を気にしない
【5】
「こんなに近くに こんなに水が満ちてるのに 重力の向こうの300㎞はあまりにも遠すぎます」
期待:近くにあるのなら手に入るだろう
現実:重力のため、300㎞先の地球からではなく、2億5千万㎞離れた彗星からのほうが、水を入手しやすい
【6】
「白夜は この光を見たでしょうか? 君が見えると思ってくれたでしょうか? わかりません でも いつか見つけてくれるでしょう そして記憶してくれるでしょう このわたしレイとISSと宇宙を」
期待:白夜が信号としての光を見て、記憶してくれる
現実:白夜はいまわの際、または死んでいる(劇的アイロニー)
以上6点ですが、私は、【5】のアイロニーのオリジナリティーが高いと思いました。
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【Dさん】
新書31頁に、「アイロニー標識」、例えば「…(笑)」や、「……」などが、アイロニーの合図として使われると書かれています。
新書は文章表現だけに絞って分析されてますが、マンガでアイロニーを考えると、アイロニーは映像表現のほうが伝わりやすいんじゃないかと思いました。例えばアイロニーを告げるときの表情などで、アイロニーをうまく伝えることができると思います。
Dr.STONEのZ=1冒頭、美少女型ロボットは実はただの模型で、作成途中の自作PCみたいなほうが本物のロボット、というのも、映像表現をうまく使ったアイロニーと思います。
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【Eさん】
Dr.STONEのレイが、人と最も異なるのは、アイデンティティの問題がないところだと思います。レイと、Z=9で150年後に3Dプリンタで「復活」する新バージョンのレイとは、当然のように同じものとされています。これに対して、人は新バージョンとアイデンティティが連続することはありません。
このギャップによって、人間のアイデンティティの一回性、唯一性が表現できるのかと。
Hさん AIから人間を逆照射するというのは、表現として使えそうですね。
Eさん そうですね。もう一つ、Z=8で、彗星にドラゴンのような地球外生命体が凍って閉じ込められているのですが、レイの把握では「有機物資源」です。これも、地球外生命体を発見したときに期待される振る舞いと、資源を確保しようというAI的・目的的な振る舞いのギャップを示したアイロニーだと思います。
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【Fさん】
私の好きな映画に、「さよなら子供たち」があります。ナチス占領時代のフランスで、ユダヤ人であることを理由に寄宿学校の先生が連行されてゆくとき、「さよなら子供たち、また会おう」と言うのですが、もう帰って来られないことはわかっているんです。レイの「帰ってきてくれますか」にも似た、劇的アイロニーだと思います。
新書のほうでは、私の父から聞いた、海外での実体験を思い出しました。父は、後ろから女性がついて来ているときに、ドアを、日本でするようにそのまま通った(ドアを押さえなかった)ところ、後ろから大声で、「Thank you so much!」と叫ばれたとか。これは新書に出てくるアイロニーの例、そのままですよね。父のは実体験ですが。すごく印象に残ったみたいで、この話はしばしば言ってました。
人は伝えたい、という思いが根底にあり、アイロニーはそれを強く表現したいツールな気がします。
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【Gさん】
アイロニーには、受け取る側の問題があると思う。
受け取る側が深読みしすぎると、なんでもアイロニーに聞こえてしまって、表現をそのまま素直に了解することができなくなってしまう。なんなら『アイロニーはなぜ伝わるのか?』を、アイロニーであると読んで、実はアイロニーは伝わらないものだということを表現したかった、とか読んでみたりして。
だから、受け取る側がどこまでやるかという問題は重要だと思います。
アイロニーというものが受け手の解釈によって完成するという例として、Dr.STONEの廃棄されたロボットが地球を救うという展開そのものを「アイロニカル」と評する、というのを上げます。
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【Hさん】
私は劇の脚本を書いてますが、直接的に表現するのは、怖いことですね。例えば好きだということを告げるのに、「好きだ」というセリフは、書けないですよ。
私は、直接的な表現によらずに伝えることを、自分ではずっと「うらはら」と呼んでいました。役者さんに、「ここは、セリフはこうだけど、うらはらの表現で」といったような。新書を読むと、アイロニーと捉えることもできるなと思います。
あと新書で印象に残ったのは、「運命のアイロニー」の一例として出ている(149頁)、シェイクスピア『ジュリアス・シーザー』の登場人物の、「この壮烈な場面は繰り返し演じられるだろう」ですね。劇と現実とが交じるのが、感銘を受けました。
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【Iさん】
新書では、反・民主主義者ジェイソン・ブレナン『反・民主主義』(150頁)や、プラトン『法律』(158頁)の、アイロニーの分析が印象に残りました。プラトンの話から続く、「樹木の当事者適格」、自然物に法的権利を付与するというのが、アイロニーなのかアイロニーを超えるのか(160-161頁)といったところも。
Dr.STONEで印象に残ってるのは、Z=3の無重力での踊りの場面で、急にエロくなる! ところ。これはSFが続いたので読者サービスという、ある意味アイロニー、ですかね?
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Dr.STONEは少年マンガですから、アイロニーが多いタイプでもないと思うのですが、それでもやはり、アイロニーが効果的に使われています。
アイロニーは、(不合理な?)期待を炙り出す、実に面白い概念でした。
あと『アイロニーはなぜ伝わるのか』で読書会をすると、「それはアイロニーかい?」という冗談が飛び出しがち。
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今回の料理は豚バラ肉の塩トマトソース。福田和也の追悼(参加者に告げるのを忘れてましたが)のために、塩を強く利かせてみたんですが、ちょっとやりすぎたか。
しかし、新書でマンガを読む、そんなことやってる読書会、他にないんじゃないですかね?(自読書会自賛) とても面白かったです。ではまた。

